ひねくれさん

自分はひねくれているという人が本当にひねくれさんであるケースにお目にかかった事がない。大抵は表面のごく一部をちょっと変えてあるだけ。カッパが赤い絆創膏を1枚貼って「俺はタコだ」と言っているようなものだ。

経験則

  • ひねくれさんは自分がひねくれているとは言わない。
  • ひねくれてない人は言ったり言わなかったりする。

一方、自らをひねくれてると称する、いわば "ひねくれミーハー" の人たちは、「ステレオタイプな肯定は全て恥だと思う」という素直で解りやすい性質がある。このため、訊かれてもいないのに自身の事を語り出すときは「自分はひねくれている」とかいうくせに、他人から「あなたはひねくれてますか?」と聞かれると「まず、ひねくれてるとはどういう意味か」「自分では自分のことを正確に判定するのは難しい」「あなたがそれを知ってなんになるというのだ」と借りてきた主張を得意げに披露し始める。これらの言葉は一見、客観的な意見を言ってるようだが、実際は「私は凡百のつまらないやつらとは違うんだから、もっとデリケートに扱え」という図々しいくて無神経な主張でしかないという点が面白い。

経験則

  • 「あなたはひねくれてますか?」という質問は時間の無駄だ。

それでは、どう判定したら良いのか?
<続きは「De IT Titi Presso」2007年7月号にて>