懐かしいお菓子

子供の頃に食べたお菓子を思い出すことがある。
ウコンを混ぜた小麦粉で出来た薄くて黄色い皮につつまれた小豆で、直径4cmほどの球状に固められた芋団子の表面をびっしりと覆い、それに黒蜜をたっぷりと塗って、あられをまぶしてからこんがりと焼き上げ、最後に生クリームを盛ったお菓子だ。
家では祖母がよくつくってくれた。他所の家でも作られていたし、お菓子屋さんに売っていたので、我が家オリジナルのお菓子ではない。ただ、残念なことにこのお菓子の名前を忘れてしまったのだ。祖母は「くされ玉」と呼んでいた。考えてみれば酷い名前だ。
子供の頃の俺は、疑問を持たずそういう名前だと思っていた。疑わずに信じているポーズを見せれば周囲の大人達が「子供は純粋だ」とか言ってくれるので、いい気になっていたのだ。どの子供もそうだったし、今の子供も一人残らずそうだ。子供はみんな汚れている。
その汚れた子供だった俺に、友達の健二のお母さんが「はい錫蔵ちゃん。○○だよ」とこのお菓子をくれたことがある。

「○○って何かな?あ、これくされ玉じゃないか。健二の家ではくされ玉を○○って呼ぶんだ。変なの。いや待てよ、うちの婆ちゃんが勝手にくされ玉って呼んでるんじゃないか。だって変だよ、くされ玉って。そっか、○○って言うんだ。騙されたー」

俺は0.3秒くらいで上記の判断をして、健二のお母さんには「ありがとう!僕、これ大好き!」と明るくお礼を言った。

  • 無邪気にお礼を言えば、気をよくするだろう
  • くされ玉という名前だと思っていたことを健二にばれたら笑われる
  • とはいえ、○○という名前が正しくないという可能性も一応考慮しておく

このような打算に基づいた発言だ。子供は汚れている。それに比べて大人のなんと純粋なことよ。
その後、何度か同じような機会があり、くされ玉という名前は間違いであると確信するに至った訳だが、そのお菓子を作る度に祖母が独特の節回しで「くされ玉が出来やりょっしょい〜」と言うインパクトが強くて正しい名前を覚えられずにいた。
先日、日本の実家にいる両親に電話することがあったので、ついでに祖母に代わってもらい、くされ玉の事を訊いてみたが、まったく覚えていないという。再び両親に代わってもらったが、やはり覚えていない。健二と健二のお母さんに代わって貰ったが覚えてない。近所のお菓子やさんも「錫坊よ、俺はここで40年お菓子やをやってるけどそんなのは聞いたことねえな」と言ってる。
くされ玉は幻だったのだろうか?
そんな筈はない。皆が俺を騙そうとしているのだろう。そもそも皆が都合良く実家の電話の周りに居るのが怪しいではないか。そうでなければ、くされ玉の本当の名前を知られるとなにか不都合な点があるに違いない。