しりとりという名前

友へ
しりとりという遊び自体に罪はないと思うが、その名前については一考の余地があると言わざるを得ない。ちょっと考えただけでも次のような問題点がある。

  1. まず、尻とは何事か。
  2. しかも取っていない。参照しているだけだ。
  3. セクシャルハラスメント(性的意図に満ちた嫌がらせ)の雰囲気がある。
  4. 塵取りと紛らわしい。
  5. 塵取りを使う機会はあまりない。

これだけの問題を抱えていながらも、しりとりという呼称がまかり通っているという現実にまずは目を向けて頂きたい。すぐに逸らしても構わない。しかも、このような問題だらけの呼称を乳幼児や胎児(しりとりは胎教に良いと聞いたことがあるような気がする。私が提唱したのかもしれない)にまで使わせているのだから呆れるのを通り越して呆れてしまう。どこかでループしてたのだろう。
かくの如き事態を早急に解決するために、各方面の専門家を集めて、しりとりに変わる別の名称を検討してはどうかという提案がなされたのは記憶に新しい。さっき思いついたからだ。
ただ、専門家の意見というのは無難なものに落ち着く傾向にある。誰も専門家に突拍子も無い意見を望んでいないからである。考えてもみたまえ、専門家が集まって出た結果が「しりとりに代わる新しい呼び方は『餃子男』にします」だったら皆不安になるだろう。しかも何故か妙な強制力を持ってたりするとパニックになりかねない。
だから、専門家の出す結論はせいぜい『つながり餃子』くらいに留めておくべきなのだ。これなら民衆も「ああ、言葉と言葉をつなげる遊びだからだな。餃子は何かのメタファーなんだろうな」と小さな不安を抱くだけで済むだろう。この名称は思わぬ効果をもたらした。餃子嫌いの子供がこれをきっかけに餃子好きになったのである。
今日の結論:

  • しりとりという呼称は問題があるからなんとかしろ。
  • 専門家に名前を考えさせると良いだろう。
  • 多分『つながり餃子』という名前になるのではないか。
  • 餃子食べたくなってきた。
  • 一行目の「友へ」は余計だった。