伝承歌

どの世界にも伝承歌と呼ばれる古い歌がある。日本の民謡や童謡もそうだが、それらの歌には不思議な歌詞のものが多い。元々の意味が解りにくい上に時代を経た変化や追加が為されて、どんどん複雑になって行くためであろう。
ここボリビアの伝承歌は大雑把に分けて、先住民族インカ帝国・スペイン統治下・独立後の4つの時代背景の影響を受けている。ご存知のようにインカ帝国は文字文化を持っていなかったため、インカ帝国時代の歌がどのような変遷を辿って来たのか、それぞれどういう意味を持っているのかが一切解っていない。このことが、後の時代において独自な解釈の歌が派生していった要因となっているのではないかとも言われている。
日本の皆さんにもお馴染みの俗に「裁判の歌」と呼ばれる歌は、時代を経て歌詞が継ぎ足されたり順番が変えられたりするため、地方ごとに様々なものが存在する。名前のせいで誤解を生んでいるようだが、「裁判の歌」は必ずしも「悪事に対する審判を下す」という内容の歌ばかりではない。良いことを称えるという歌詞も数多く存在している。そういう意味では「裁判の歌」というより「判定の歌」と呼んだ方が実態に即しているかもしれない。
「裁判の歌」は次のようなフォーマットの歌詞になっている。

おまえは○○○をした
これは△△△なことだ
□□□を与えよう ◇◇◇回与えよう

「与えよう」の部分が「取り上げよう」だったり、「◇◇◇回」の部分が「◇◇◇年」や程度を表すこともあるが、概ねこのフォーマットからはみ出すことはない。例えば、解りやすいものではこんな歌がある。

おまえは牛泥棒をした
これは許されないことだ
鞭打ちを与えよう 10回与えよう

これはほとんど法律といっても良いような歌だ。実際に文字を持たない時代の法律だったのかもしれない。このような歌は、どの時代にも解りやすいので、刑罰の内容が変えられて、引き継がれている。また、こんな歌もある。

おまえは蜂を逃がした
これは不注意なことだ
晩飯を抜こう 3回抜こう

この歌から、養蜂を行っていたことや蜂がいかに貴重な存在だったかを伺い知ることができる。

おまえは息子の影を踏んだ
これはありがたいことだ
木の実をあげよう 2つあげよう

これは一見、意味不明な歌詞だが、こちらに古くから伝わる「3歳の誕生日に沢山の人に影を踏んでもらうとその子は健康になる」という言い伝えを知っていれば、それほど不思議ではないだろう。一方、全く意味が解らない歌もある。

おまえはコンドルを見ていた
これは不思議なことだ
皆で呪おう 末代まで呪おう

何故不思議なのか、何故呪われるのか全く解らないが、この手の理不尽な歌詞がこちらの国民性によく合らしく、酒の席などで皆が歌うのはこういった理不尽な内容のものが多い。この辺は最低クイズに通じているものがあるような気がする。ただ、この手の理不尽なものや意味不明なものは、日本の民謡で言うところの正調の「裁判の歌」には収録されているものはほとんど無いのが残念だ。
俺はこの手の正調以外の「裁判の歌」が知りたくて、地方に行く度に酒場で歌われている歌をメモしたり録音したりして集めるようにしている(酔っ払って無くしてしまう物も多い)。そうやって集めた中で面白いのを幾つか紹介しよう。

おまえは犬に似ている
これはくだらないなことだ
俺はどうでもいい 皆どうでもいい
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おまえは泳げない
これは普通のことだ
チチカカ湖に放り込もう 何度でも放り込もう
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おまえは水を飲みすぎた
これは痛ましいことだ
泥水でもすすってろ 一家ですすってろ
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おまえは逆立ちがうまい
これは素晴しいことだ
金銀を与えよう 台車一杯与えよう

このような正調以外の「裁判の歌」をご存知の方が居たら教えていただけるとありがたい。