短編小説

スタッフの立花が短編小説を載せろとうるさい。彼の作品(あれが作品と呼べるならであるが)は以前読んだことがあるのだが、正直言って独りよがりで面白みに欠けるものばかりだと思うので(参考:GUZZLING)、彼から依頼があるたびに俺は「ああ、気が向いたらそのうちな」と丁寧に断ってきた。
先日、立花とチャットしてたらまた同じ話を蒸し返してきた。もうその話はしたくなかったので、俺は正直に「俺には面白いと思えないので、載せられない」と返事をした。これに怒ったのか彼は「だったら仕方がないな。それにそっちに載せても、それほどアクセスはないし、読んでる人は5人くらいだろうし、同じ人からしかコメントを貰えない閉鎖的な雰囲気だし、相変わらずチノリノツクリカタで検索してくる人ばかりだし…」と悪口を言いだした。全部当たってるだけに何も言い返せない。
このまま険悪な雰囲気になるのも良くないと思い、俺は「試しに未発表のものをひとつ送って欲しい」と提案をした。立花は「じゃあ、俺が自分で没にしたやつなら、逆にそっちは面白いと思うかもしれないので、それを送る」と言ってきた。互いにポリシーのかけらもないやり取りだと思う。そのような経緯で送られてきた短編小説がこれだ。ちょっと長いが我慢して頂きたい(実のところ我慢して頂かない方が私にとっては気が楽だ)。




バスストップ
次のバスまであと74分、これだから田舎は嫌なんだ。誰もいない待合室で俺は論理哲学論考を読んで時間をつぶすことにした。論理哲学論考は田舎でバスを待つのに最も相応しい本だ。ウィトゲンシュタイン自らがそう言っていた(もちろん嘘だ)。
しばらくすると誰かが入ってきた。何か独り言を言っている。声からすると婆さんのようだ。
「雨ばかりで嫌になるねえ」
婆さんが話しかけてきた。ヘッドフォンをして本を読んでいる人に話しかけてくるという神経が理解できない。俺は聞こえないふりをして本を読み続けた。
「本当に、嫌になるよ」
多分独り言のようなものなのだろう。他者と意思の疎通を行うことと、自分の考えを伝えることの境界が曖昧になるのは、老人に限らずそれほど珍しいことではない。俺のように他者とのコミュニケーションを極端に避ける人間は問題があるのかもしれないが、この婆さんみたいな誰とコミュニケーションしてるのか無自覚な人間だって、決して褒められたものではない。
「そうだろ。そこのお兄さん」
畜生、そうまでして俺に同意を求めるのか。俺が「ああ、そうですね」とか「洗濯物が乾かなくて大変ですよ」とか言ったところで、この婆さんに何の得があるというのだ。いや、損得の話じゃないことは解っている。ちょっとしたコミュニケーションが生活の潤滑剤になる場合があるって事は認めよう。ただ、それはお互いがハッピーになるからこそ成立する考えじゃないのか?俺が今本を読んでいることは解るだろう。あんたと会話しようと思ったらウォークマンを止めてヘッドフォンを外さなければいけないことは解るだろう。どれだけ、一方的な満足を追求する気だ?それが人情ってやつか?他人の好意を無条件で貰い放題で何が人情だ、この乞食め。
「でも、まったく雨が降らない年もあったさねえ。あんときは大変だった。あれを思えばこんな雨なんか我慢しないとねえ。そうだろ、お兄さん」
俺は完全に無視を決め込んだ。ばばあ、てめえとなんか話す気はないぞ。俺は必要以上に本にのめり込んでいるポーズを取り、音楽に合わせて軽くリズムを取る。
「こんだけ降ると、あの山に埋めた物がどうなっているか不安になるだろう?」
聞こえない。聞こえない。ていうか、死ねばばあ。
「青いビニールシートが見えてるかもねえ。中のあの娘が不憫だねえ。寒い寒いって泣いてるだろうねえ」
うるせえ、しるか、死んだ女が泣くか馬鹿、ていうかてめえも殺すぞ。
「こんなことなら、もっと深く掘っておいた方がよかったさねえ」
畜生、この婆さんどこまで知ってるんだ?それ以前に、なぜ俺に話しかける?警察関係者とは思えないし、そもそも事実を知っているなら俺に話しかける理由など無いじゃないか。黙って警察に知らせれば、より確実に俺を捕まえられるだろう。
「お兄さん。あんた、まだ気付かないのかい?」
俺はヘッドフォンを外し、ゆっくりと顔を上げた。
「ほら、川野商店の」
思い出した、スコップとビニールシートを買った雑貨屋の婆さんだ。すべてを見られていたに違いない。やばい、この婆さんも始末するか、いや、ここじゃ無謀だ。やばい、やばい、やばい、やばい。
「あんた、お釣りを忘れたよ」


立花は間違った判断と正しい判断をした。正しい判断はこれを自分のサイトで没にしたこと、間違った判断はそれを俺に送ってきたことだ。
立花には、今まで通り自分のサイトでだけ作品(これが作品と呼べるならであるが)を発表してもらうことにした。